中村藤吉本店のある宇治橋通を西に歩くと、宇治橋で終わる府道7号線から西に伸びた大きな道路に出る。 |
この道を南に、太陽が丘の方に歩いて行くと、宇治市役所の建物が見える。宇治市役所には、JR宇治からだと歩いて24分ほどの距離である。 |
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宇治市役所の前には、平和エリアがあり「平和の鐘-祈り-」と名付けられたモニュメントが建っている。 |
高さ7mで、一番上に直径44cmのスイングベルがあり、その下に直径1mの地球を模した、からくり球がある。 |
また20.5cmから44.8cmの大きさのカリヨンベルを左右に20個設け、毎正時には、平和を願いメロディが流れると共に、地球儀から人形が出てくるという。 |
石碑に刻まれた碑文には、『~平和の響きを宇治から世界へ~ |
世界の恒久平和と核兵器の廃絶は人類共通の永遠の願いです。 |
21世紀の真の世界平和に対する宇治市民の真摯な想いを、平和の音色とともに世界に伝えようと市民の皆様の浄財をいただき「平和の鐘-祈り-」を建設いたしました。 |
また、原子爆弾により大きな被害を受けられた広島市、長崎市と悲惨な地上戦を経験された那覇市から、宇治市民とともに平和を希求するメッセージとして被爆石と戦災石を拝受しました。 |
この「平和の鐘-祈り-」が平和の像とともに、宇治市民の平和への強い思いの象徴として親しまれ、 |
その響きが水の波紋のごとく世界中の人々の心に広がり、世界の恒久平和と核兵器廃絶の早期実現がもたらされることを心から願います。』 |
出典:【宇治市長メッセージの石碑】より |
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またモニュメントの前には3つの石が並んでいて、右から広島で被爆した「広島市役所旧庁舎の敷石」碑文には、 |
『これは、1945年8月6日、人類史上初の原子爆弾によって被爆した広島市役所旧庁舎の敷石です。 |
この石が、宇治市の皆さんとともに、核兵器の廃絶と世界恒久平和を願うヒロシマのメッセージを伝え続け、 |
憎しみや恐怖から解放された、核のない平和な世界が一日も早く実現することを心から願っています。』 |
出典:【広島市長メッセージの石碑】より |
そして長崎で被爆した「下の川の護岸石」碑文には、 |
『戦争の悲惨さと原爆の脅威を身をもって体験した長崎市民は、このような悲惨な体験を繰り返してはならないと、移管して核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けています。 |
この石は、被爆当時、爆心地の側を流れる下の川(しものかわ)の護岸に使われていたものです。 |
宇治市民の皆様が、真の平和とは何かを考えるとき、原爆の惨禍を目のあたりにしたこの意思が、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に大きく寄与することを願います。』 |
出典:【長崎市長メッセージの石碑】より |
左には沖縄戦で被災した「首里城公園の石」碑文には、『この度、宇治市長からの要請により、去る沖縄戦で被災した首里城公園の石をお送りします。 |
この石に、悲惨な戦争の記憶を決して忘れず、二度と戦争は起こしてはならないという決意を込め、一刻も早く恒久平和が実現されることを、宇治市民のみなさんとともに願っています。』 |
出典:【那覇市長メッセージの石碑】より |
が平和の重みを感じさせてくれると共に、核廃絶と恒久的世界平和を願っているのである。 |
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