仁王門通が西の川端通にあたろうかという少し前に、この通りの名の由来となった「頂妙寺」がある。

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聞法山頂妙寺と称する、日蓮宗の本山である。応仁の乱が終わろうとする、文明5年(1473)に日祝によって創建されている。

その後、たびたび移転を繰り返し、天文法華の乱(天文5年:1536年)では一時、堺に移っている。

天文11年(1542)に京の町に堂宇を再建するも、織田信長の焼討ちにより再び移転。

そして、寛文13年(1673)の京の大火で、他の寺よりも早く、現在のこの地に移っている。

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仁王門通の名の由来となった仁王門が建つ。

持国天と毘沙門天が左右に並び、東山天皇の筆になる「聞法山」の山号と、前田玄以が豊臣秀吉の命を書き写した扁額が掲げられている。

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駒札によれば、

『聞法山(もんほうざん)と號し今から約五百十餘年前妙国院日祝上人を開基として細川勝益公が創建した日蓮宗の本山である。

寺地はもと柳馬場四條にあったが、のち下長者町新町の邊に移り更に轉々して約三百十余年前、この地に移った。

此の寺の第三祖佛心院日珖は織田信長の安土問答に日蓮宗を代表して會した人である。

楼門の東西には高さ七尺の持国天、多聞天像を安置して、其の前には俗に仁王門の拝殿と呼ばれる禮堂がある。

仁王門通の名は此処から起った。

本堂には本尊として法華首題牌釋迦如来、多寶如来を安置し、楼門東には祖師堂、北には大黒天堂がある。』

                       出典:【頂妙寺の駒札】より

多くの寺宝のなかに、俵屋宗達の「双午図」があり、境内の菊神稲荷は、天明の大火の際に妙雲院十一代日敬聖人の夢に表れた、火除けの神が祀られているという。