少し前の平成20年2月1日は、源氏物語が世に知られてから千年目という節目の年であった。

それに合せて「源氏物語」ゆかりの地に説明板が設置をされた。

 クリックで大きくなります
説明板は架空の場所は避け、史実に基づいた40箇所に設けられた。

京での「源氏物語」の大部分は平安京(京都市内)が舞台となっているのだが、平安京の外にもいくつかの「ゆかりの地」がある。

遍照寺もその内の一つであり、夕顔のモデルで具平親王の恋人大顔が急死をした所である。

 クリックで大きくなります
説明板によると、

『永祚元年(989)花山天皇(一説に円融天皇)の御願により寛朝僧正の開基で、仁和寺の法流を広め真言宗広沢流の発祥の地となった。

旧寺地は池の北西に位置し遍照寺山の麓にあって広沢の池に臨む景勝の地で観月の名勝として知られたが、応仁・文明の乱で廃墟となり江戸期に池南方の現在地に移された。

本尊十一面観音立像と赤不動明王坐像は、遍照寺創建時の作で重要文化財に指定されている。

紫式部が20歳の頃、遍照寺に具平親王と大顔がお忍びでお月見に出かけたが、月見を楽しんでいる最中、大顔が消え入るように急死した。

このことで紫式部の父と伯父は、残された子どものためにも奔走することとなった。

村上天皇皇子の具平親王は博学多才で有名だが、大顔は親王家に仕える雑役の女性だった。

この身分違いの恋や、遍照寺の事件などは『源氏物語』「夕顔」の土台になったといわれ、光源氏と身分違いの恋をしていた夕顔は、大顔がモデルとされる。』

           出典:【源氏物語ゆかりの地「遍照寺境内」の説明板】より