児神社で府道を横切る小学生の一行を見ながら、ふと目に付いたのが遍照寺への案内板。

遍照寺なる寺院がどんな寺かも分からずに、あまり遠くもなく、ここに行っても待ち合わせの時間までには帰れるだろうと、足を向けてみた。

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こんな所にぽつんとある寺なので、小さなお寺だと思っていたのだが、その実なかなかに由緒ある寺だと分かり、また寺域も想像していたよりも広かったので少し驚いた。

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駒札に由緒をみると、

『廣澤山と号する真言宗御室派の準別格本山である。

当寺は、永祚元年(989)宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正が円融上皇の御願により広沢池北方の遍照寺山麓に創建したものである。

醍醐寺を中心とする小野流では庶民出身僧侶の活躍が目立ったが、仁和寺を中心とする広沢流は名門貴族出身者が多く、当寺はその根本道場として名声を集めた。

かつては広大な寺域と荘厳な伽藍を有したと伝えられるが、14世紀の後宇多天皇の頃からしだいに荒廃した。

寛永10年(1633)仁和寺門跡の内意により、本尊及び寛朝画像等を池裏の草堂に移して遍照寺の名跡を伝えた。

本尊の木造十一面観音立像及び木造不動明王坐像は、いずれも一木調成の創建時の遺像で、重要文化財に指定されている。』

                      出典:【遍照寺の駒札】より