広沢池の南西のほとり、府道29号線に面してあるのが「児神社」。児と書いて「ちご」と読む。

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児神社の由来は、駒札によれば、

『児神社は創立年月不詳、祭神は寛朝大僧正の侍児である。

寛朝大僧正は、成田山新勝寺を開創、後にこの嵯峨広沢の地に遍照寺を建立、

名僧正として徳は一世に及ぶものなしと言われた。長徳4(998)年6月12日、大僧正示寂、

伝聞ではその時、遍照寺山腹の老松から龍となり、静かに昇天してゆくのが見えたという。

残された児は、悲嘆・悲泣し、後を追い、山腹下に広がる広沢の池に身を沈めた。

近在の人々、この児を哀れと思い、その霊を慰めんものとこの社を創建、以来児神社と称されるようになった。

この社について、弘化4年末春、嵯峨青護山人の述べるところ、略記すれば、次のごとくである。

女人懐妊すれば、必ずこの殿神に詣で安産を願ひ且つ生まるる子の智恵愛敬を祈るなり。
最も霊験いちじるく昔よりこのところに五体健全、長命の人多きはまったく此神徳による処なり仰ぐべし尊ふべし。

なお、寛朝大僧正がこの広沢の池畔で座禅の折、傍らでいつも児が腰を掛けていたという石椅子が、
境内地に移し置かれいつしか神前で一心に祈願し、この石に座れば、必ず長命・安産・縁結びが叶うと伝えられるようになった。

まったく不思議なことである。』

                       出典:【児神社の由来】より

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由来のなかに、石椅子があると書かれているのだが、何時も由来などの駒札をその場で読むことがなく、

後で写真と共に読むので、写真に映った石も、石椅子とは全く関係のないものであり、この石が何なのか分からずじまいであった。