松花堂庭園は、昭和52年(1977)に八幡町が購入をし、平成14年(2002)に新しく改装された。

松花堂庭園は其の名の通り、石清水八幡宮の僧であった松花堂昭乗に所縁する庭園であり、面積は22,000㎡と、甲子園球場の1.5倍の広さがあり、内園と外園に分かれている。

男山の山麓にあった泉坊の一部と、松花堂を移設し、松・竹・梅の茶室を復元して、庭園には竹や笹、その時々の花が植えられて、

洛南の名庭園として、また「お茶の松花堂」、「竹の松花堂」として広く親しまれている。

                      参照:【松花堂庭園の説明文】より

 クリックで大きくなります
庭園に入り最初に出会う茶室が「梅隠」である。

庭内の散策路から見える露地(茶室の庭)にある飛び石が、茶室へと誘うように配置されている。

駒札によれば、

『このお茶室は、千宗旦(千利休の孫で、表千家・裏千家・武者小路千家の基を築き、庶民に茶の湯を広めた)好みの四畳半茶室を再現したもので、

このお茶室の入口は貴人口にしており、外側に土間がついており、そこに中潜りが設けられています。

この潜りは、露地の中門の形式の一つである中潜りに相当するもので、それが茶室に結合されているという古い茶室の形に属しています。

このお茶室は、もともと宗旦の居宅に設けられていたものを、この庭園に再現したもので、その内部の構造は、宗旦の茶を理解する上で、今日庵と並び、貴重な茶室であります。』

                      出典:【茶室「梅隠」の駒札】より

 クリックで大きくなります
「梅隠」を過ぎると「松隠」の茶室である。

松隠でも正客をもてなすための飛び石があり、どの飛び石を踏むか、世人には悩ましいところである。

駒札によれば、

『この茶室は、入母屋造りで床の高い建築様式で、銅板葺きの屋根はほどよい勾配で近世のとれたおだやかなたたずまいをみせています。

中は、玄関、八畳の広間、そして四畳台目の本席及び水屋で構成されており、特に本席は、その床柱に栗の木の手斧(ちょうな)がけが使われ、床框(とこがまち)は朱色の漆塗りとなっています。

このお茶室は、松花堂昭乗が住んでいた男山の坊「滝本坊」の脇に小堀遠州が建てた茶室「閑雲軒」を再現したもので、今では、往時の茶室を知る上で、貴重なお茶室となっています。

松花堂昭乗が往時した滝本坊に小堀遠州が「閑雲軒」というお茶室を建てていることにより、松花堂昭乗と故彫り遠州との交友の深さを知ることができます。』

                    出典:【茶室「松隠・閑雲軒」の駒札】より