八幡の各地には、道標や旧跡を標す石碑が30数基建っている。

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八幡に建つ石碑は、すでに見た「水月庵是ヨリ二丁」の石碑から、男山中腹の「瀧本防跡」の石碑まで、所々に、その場所々々に因んだ石碑が建っている。

これらの石碑には、「依三宅安兵衛遺志建之」との文字が裏面に刻まれている。

これらの石碑は、若狭出身の三宅安兵衛が、博多織の商いで儲けた私財を、京のために使えと遺言を残し、金1万円(現在では5,000万円に相当する)を息子の清治郎に托すのである。

クリックで大きくなります 清治郎は、その金をどう使おうかと思案したあげく、京の町を案内する石碑を建てようと思いつき、京の町に400基もの石碑を建てたという。その金額は2万円ともいわれ、今日では1億円余りの金額だという。石碑は、大正10年から昭和5年までの10年間のあい9だに建てられたのだが、その多くは、何処に建てられたのか、長い歳月に風化してしまったのだが、この八幡には多くの石碑が残っており、その一つ一つが旅するものの、指標として今に受継がれているのである。