宅間塚から井手口川に架かる橋を渡り、周山街道を北に。般若寺町の三叉路を右に、なだらかな坂道を登ると、蓮如上人に所縁の「順興寺」がある。

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順興寺は、もとは河内国枚方に創建された本願寺派の寺院で、初代住職は蓮如の末子である実従が務めている。

駒札によれば、

『山号を竜華山といい、浄土真宗本願寺派に属する寺である。

寺伝によれば、延徳元年(1489)真宗の中興の祖蓮如上人が河内の枚方で開いたといわれる。

次いで、蓮如上人の末子兼智(実従上人)が永禄元年(1558)より枚方の当寺に住み、寺運は栄えて後奈良天皇の勅願所となり、院家に補せられた。

のち寛永年中(1625)枚方より堀川丸太町の地に移転し、二条順興寺と呼ばれて「都名所図会」に記されていた。

しかし、天明8年(1788)の大火に遭って惜しくも焼失し、昔の姿は失われた。

「やしょめ、やしょめ京の町のやしょめ 売ったるものはなに、なに」と京都で古くから唄われている地唄万歳があるが、

当寺に因縁が深いといわれ、やしょめの寺の別名がある。昭和49年4月、現在地に移転した。

寺宝には、蓮如上人ゆかりの画像や文献が多く、毎年春季彼岸会中日に蓮如忌が行われている。』

                     出典:【南殿 順興寺の駒札】より

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蓮如は亡くなる前年にできた実従を可愛がり、子守唄を歌って聞かせたという。

それは「やしょめ(優女)」という、京に古くから伝わる地唄を変化させたものと言い、やしょめ・やしょめと歌われ、

今に歌い継がれて、蓮如忌には「優女(やしょめ)」と「黒髪」が祇園の芸妓によって奉納されている。

説明書によれば、

『本願寺第八代蓮如上人は、明応8年(1499年)に山科本願寺で往生したが、前年に末子実従が誕生した。

蓮如上人は晩年になって生まれた実従(順興寺初代住職)を可愛がり、子守唄を作り唄って聞かせた。当寺に伝わる「やしょめ(優女)」である。

順興寺では、毎年、蓮如忌(旧暦の3月25日)に祇園の芸妓社中によって「やしょめ」の歌と舞いが奉納されている(現在は春の彼岸の中日に勤修)。

「やしょめ」は、京の町の賑わいを華やかに歌い上げている。振付は二代目井上八千代である。』

  出典:【蓮如上人子守歌「やしょめ(優女)」と順興寺の説明文】より