文徳天皇田邑陵をすぎて、山越道を造園業の家々を両側にみながら西に歩くと、四つ辻に出会うことになる。

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クリックで大きくなります この四つ辻に「千代の古道」と刻まれた石碑が建っていた。千代の古道とは、平安時代に洛中から嵯峨院(大覚寺)に通じる道だと言われ、常盤から鳴滝を経て、山越道のさざれ石山の西麓を通り、一条山越通を左に折れて広沢池の横を通って大覚寺へと通じた古道であった。

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古来この道は、平安貴族が嵐山への遊山や大沢池での観月に足繁く通ったとされる道であり、

在原行平が、

「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代のふる道 跡はありけり」と詠み、

藤原定家が、

「嵯峨の山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒」と詠んでいるように、その昔は多くの貴人がこの道を利用したのであろう。