地龍大明神は大山柢神社の末社であり、山の神々を祀る神社として古くからこの地にある。

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この辺り一帯を、東山三十六峰の一峰である瓜生山という。瓜生山を山の神とし、古来より崇められてきたのだが、駒札によれば、

『山の名は播磨国より、牛頭天皇(八坂神社祭神)が今の祇園社に移し祀られる、貞観18年(876年)の前に、しばらく鎮座された天皇が、木瓜を好まれた故事に依ると伝えられている。

室町時代、勝軍地蔵が安置されて後「勝軍地蔵山」と俗に言はれ、聖護院門主大峰入り前、必ずこの山にて護摩を修された。地蔵菩薩は後に現在地に移られた。

延元元年1月11日(1336年)新田義貞、瓜生山城を築き足利勢を敗った。

天文永禄の乱、足利十二代将軍義晴義輝父子北白川城を山頂に築き、細川三好の党と戦い数年籠城の後、

自ら天文16年7月19日(1547年)火を城に放ちて坂本へ奔(はし)り灰燼に帰し、白隠禅師が闘病中に此の山中に、医術に長寿の仙人と言われた白幽子を訪い、治療法を授けられた。

北白川宮家が山の池の蓴菜(じゅさい)を好まれたが、東都へお移りになり池は埋められて荒廃した。

昭和4年地龍大明神の社が奉納後に、大山柢神社の分社となり、山主の神々を合祀し毎年5月3日を山の祭日と定められた。

古歌「瓜生山 もみじの中に なく鹿の 声はふかくも 聞こえけるかも」』

出典:【史蹟 瓜生山(此付近一帯)東山三十六峰の一峰であるの駒札】より

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大山柢神社の前の山道を登ると瓜生山の山頂へと続く。

途中「白幽子厳居旧跡」や「清沢口石切場」などがあり、瓜生山山頂まで60分位の行程であり、其の先さらには狸谷不動尊へと山道は続いて行くのだが、

ここから瓜生山山頂の往復には2時間を要し、山道は比較的平坦な登りなのだが、今回はここまでで引き返すことにした。