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乗願院から御蔭通を西に、日本バプテスト病院道を南に入り、最初の路地の左奥に、三善清行卿の墓を守る山本家がある。

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三善清行(みよしのきよつら)は平安中期の公卿で漢学者であった。

三善と北白川との繋がりは、清行がこの地に花亭を構え白川の花を、白川女によって御所に献上させていたことにある。

三善清行の墓は志賀越道の途中、琵琶町の美目善地蔵あたりだと言われ、大正12年に墓石が建てられたが、

平成18年、美目善地蔵が移転すると共に、清行の墓石も代々ここを世話していた山本家に移されたのである。

三善清行というと、一条戻り橋での親子対面の話が有名で、清行の葬儀の列が一条の橋を渡ろうとした時に、

その子浄蔵が棺に縋ってその名を呼ぶと一時、清行が甦り親子対面が出来たという。

また、松原通から少し南へ、醒泉(せいせん)小学校の校内に、三善清行邸の跡があるが、

ここに移ったとくは荒れ屋敷で、夜な夜な妖怪が出没するのだが、清行はこれを一喝し、その正体が老狐だと見破り、これを鎮めたという話などで、よく知られた人物である。