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御殿橋から白川をさらに上流へと向かうと、上御陵橋が架かる。この橋を渡ると直ぐに、智成(さとなり)親王の御陵がある。

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ここは陵墓という形態には見えなかったが、正面からではなく道路の側からであり、ここが智成親王の御陵だと知らなければ、見過ごしてしまいそうな所であった。

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智成親王は、江戸時代末期から明治5年(1872)を生き、北白川にあった照高院の院主から還俗し、北白川宮家を起こした皇族だが、17才の若さで没している。

北白川宮家は兄の能久(よしひさ)親王が継承するが、戦後、5代道久王が、昭和22年に皇族を離れ臣下に下り、北白川の姓を賜うことになる。