北白川天神宮の石の鳥居をくぐり、手水舎の横にあったのが、白川女の碑。

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白川女は、北白川の里から京の町に花を売りの行商に出かける女性達で、この碑は、白川女風俗保存会によって、昭和38年4月に建てられたものである。

碑文には、

『白無垢の下着、無地の着物、三巾前垂に両褄をからげて、箕にあでやかな花をかざし、都大路にひさぐ姿は、京都を訪れた人の忘れ難い情緒である。

之は、ゆかり深い京の花売白川女である。

この清らかな風俗は、千数十年昔、参議宮内卿三善清行が白川の花を御所のお使い用と定められた時、献花に始まるという言い伝えがある。

此献花は、一時中絶の時代もあつたが、今尚、毎年続けておる帯は、後水尾天皇の皇后東福門院よりご下賜の御所染である。』

                      出典:【白川女の碑】より

また、その碑には、

「錦の都 白川の 清き流れは 幾千年 かはらぬ御代の 花の里 花の姿は 白川女」

「大宮人に 親しみの 深きまへたれ 三ははにて 花の香高き 箕をかさし 行くや大路の 白川女」

「玉とすめる 真清水の 鏡にうつせる 姿さへ 心も清き かんはせに 花もはちらふ 白川女」

「里をうつめて 咲きにほふ 花にくらして 平安の 昔も今も かはりなく 濁りにそまぬ 白川女」

と四首の歌が詠まれている。