北白川は、近くの山から掘り出した白川石(花崗岩)を加工する里として、明治の最盛期には数百人の石工がいたといが、今では琵琶町に一軒を残すのみとなっている。 |
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そんな石工達が丹精込めて造り上げた石細工を見てみようと、志賀越道を東に北白川天神宮へと向かう。 |
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北白川天神宮は、少名彦命を祭神とする、北白川の産土神である。 |
本殿は木々が鬱蒼と茂る小高い丘の上にあり、そこに至るまでに北白川の石工が造った、 |
石橋や石鳥居・石灯籠など、そして本殿へと続く135段の石段などが、石工達の昔日の姿を思い起こさせてくれるのである。 |
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天神宮の駒札によると、 |
『北白川一帯は、一万年を超える縄文時代より集落が営まれていた環境エネルギーの良地である。 |
ここに延喜以前より天使大明神と唱え、我国病気平癒健康長寿の神少彦名命が祀られていた。 |
八代将軍義政公が文明年間、東山山荘造営に際し、今の千古山明神の森に遷座された。 |
遠く比叡山を望み外山・丸山・瓜生山より昇る日輪と共に拝すこの宮山は、 |
古来幽邃(ゆうすい)の仙境で悪疫伝播で始まった祇園会に列した白川黒鉾と共に永い歴史の大的(おおまと)・高盛・神事御輿に三十九個の提灯を付け、 |
篝火の中、百三十三段の石段を担ぎ上げ還幸、担ぎ下す勇壮な秋祭り等が絶えることなく続けられている。 |
平安時代ここは都に近く宮廷の貴族、大宮人が風光明媚な白河街道沿いにこぞって山荘を営み、詩歌に興じた。 |
また、白川石と花の里で男は石工でその秀でた技術を神社前の橋に残している。女は白川女として代々受け継ぐ地域へ花を届けている。 |
石工・白川女共に数は激減したが現存している。宮廷や貴族の影響で衣裳は白黒鮮やかかつ立体的で京女人風俗中、特に優れている。 |
名水にも恵まれ、遠方より水汲みに訪れる人が多い。白川の川面になびく糸桜として都紅糸桜など見事である。』 |
出典:【北白川天神宮の駒札】より |
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本殿に参拝をした頃から、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきだし、それと共に落葉が風に舞いだして、雨足も強くなってきた。 |
幸い空は雲に切れ間があり、少し待てばやむだろうと思い、拝殿の下で雨宿りをさせてもらった。 |
4月末だというのに、吹く風は冷たく感じ、一陣の風と雨音を人一人いない天神宮の境内で、心寂しくやり過ごしていたのである。 |
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拝殿の下で10分ほど待ったであろうか、雨がやみ風もおさまったので、135段の石段を降りることにした。 |
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