押小路通も高瀬川を渡ると、木屋町で終わりとなる。市バスで京都駅に帰るべく「京都市役所前」のバス停まで歩く途中、

河原町通二条下ル東側の日本銀行京都支店の前にあったのが「明治天皇行幸所織工場址」である。

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明治天皇は維新で新しくなった日本の基盤を固めようと、日本の各地を巡幸される。

明治元年には、大坂天保山沖で軍艦の観閲式に臨み、明治10年には、京都の地にも行幸している。

この年に西南の役が起こり、京都での滞在が長期化をするのだが、その一環であった織工場見学の工場があったのが、この石碑の立つ辺りなのである。

ちなみに、明治10年(1877)というと、5月に木戸孝允が、「西郷もいいかげんにしないか」と言い残し、病没する。

9月には西南の役で西郷隆盛が城山で自刃をし、その1年後の5月には、大久保利通が紀尾井坂で暗殺をされるという、維新の立役者三人を一度に失ってしまうのである。

そんなこともあり国家の足元を固めようと、明治天皇の行幸は、明治11年が最大の件数となっている。

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そうこうしているうちに、205系統の循環バスが「京都市役所前」のバス停を通り過ぎてしまうのが見え乗り遅れてしまい、次の17系統のバスで京都駅まで戻ったのである。