二条通両替町の角には、少名彦命と神農、そしてヒポクラテスという医学に縁の深い人物を祭神とする「薬祖神祠」がある。

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薬祖神祠は、日本の「少名彦命」と中国の「神農」、そしてギリシャの「ヒポクラテス」を合祀する神社で、いずれも医学に関わる人物である。

少名彦命は、大国主命の国造りに際し、丘や山を造り、医薬や温泉・穀物・酒造りと色々な分野で協力をした、記紀に登場する人物である。

神農は、古代中国伝承の皇帝で、人民に医療と農耕の儀寿を教え、古来より医薬と農業を司る神として崇められた。

ヒポクラテスは、古代ギリシャの哲学者であり医者であった実在する人物である。迷信や呪術の医術から臨床を重んじた科学の医学へと発展させた人物で、医学の父と呼ばれている。

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京の民謡に、

『一条戻り橋/二条の生薬屋/三条酒屋に/四条の芝居/五条の橋弁慶に/六条の本願寺/七条米相場に/八条のお百姓お百姓』

と歌われるように、二条通は江戸幕府の初期から薬の町として栄え、11月上旬に行われる「薬祖神祭」は、江戸時代後期に「薬祖講」として始まったものだという。

その後も祭りは盛大に行われ、明治39年(1906)に現在の地に祠を移し、祭礼には薬草でご神体を作り、一帯には夜店も出て、大いに賑わったという。

しかしながら昭和50年代になると、50軒ほどあった薬問屋も減少の一途をたどり、

東洞院通から衣棚通まで夜店が並び、ひしめきあう人で賑わった「神農さん」も人出が減り、夜店も平成18年(2006)になくなってしまった。

        参照:【京都新聞ふるさと昔物語(2007年1月10日掲載)】より