平等院といえば鳳凰堂だが、鳳凰堂は2012年9月3日から修理に入り、中堂や翼廊の瓦の葺き替えや、朱色の柱や金色の鳳凰像などの塗り直しが行われ、2014年3月末までは、その外観を見ることが出来ない。

その間は、600円の拝観料が300円となる。

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平等院は宇治川の左岸にあり、光源氏のモデルとされる左大臣源融が別荘を建て、この風光を愛で酒を酌んだという。

のち藤原道長の山荘となり、その子頼道が永承7年(1052)寺に改めた。

当時は、鳳凰堂のほかに三重塔・五大堂・金堂・講堂・経蔵・法華堂・大門などの堂塔伽藍が立ち並んでいたが、

建武・元亀の兵火にかかり、今は鳳凰堂と鐘楼・釣殿を残すのみであり、往時の面影は遺跡すら残っていないのである。

しかし鳳凰堂が残ったことにより、平等院は今日にその名を残し、藤原時代の華麗な芸術を偲ぶことが出来るのである。

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鳳凰堂は、正式には阿弥陀堂という。平安末期には末法思想が京の都にも広がっており、この世の破滅が信じられていたのである。

世の人は、この末法の世を無難に過ごせるようにと、一心に阿弥陀如来に対して「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えたのである。

藤原頼道も末法思想の影響を受け、阿弥陀の極楽浄土を末法の現世に実現しようと、阿弥陀堂(鳳凰堂)を建てるのである。

鳳凰堂の完成が天喜元年(1053)で、末法元年である永承7年(1052)の次ぎの年である。

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鳳凰堂は、中堂・両翼と後尾部からなり、中堂は三間二間の重層でもこしがあり、屋根は入母屋・本瓦葺で、正面は蓮池に臨む。翼廊はその左右にあり、両端は矩形で、隅角に宝形造の楼閣を置く。

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中央の大棟の両端には青銅製の大鳳凰を置き、そのことから鳳凰堂と呼ばれるとも、またその形が鳳凰の翼を広げたのに似ているからともいう。

建築様式は阿弥陀堂建築なのだが、その配置は寝殿造の影響を受けているといい、その姿はまさに鳳凰が末法の世を厭い、浄土世界に飛び立とうとする姿に似ているのだという。