浄土院の羅漢堂は、江戸時代の寛永17年(1640)の建立になるという。

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羅漢堂は、高さ5.5m、奥行き3m、幅4mの一重・本瓦葺の入母屋造の建物である。建立は江戸時代に遡るといわれ、その説明板によると、

『棟札からは、この堂は寛永17年に建立され、大工は京の善衛門、仏師が京の伊兵衛、播主(施主)は星野浄安道斎(宇治茶師)とその息子たちであり、肝煎(きもいり)は藤村味斎・井上九左衛門であることがわかる。

また、江戸時代の地誌「都名所図絵」巻五などによると、堂全体の形式や、その位置が変化していないことが知られる。

主要部材は、建立当時そのままに保存され、内部の鏡天井に描かれた龍の彩色画の保存状況も良好で、

なおかつ和様が主流の平等院内の建物群にあって禅宗様を主体とした特異な存在で、美術的・歴史的価値が極めて高く貴重である。

なお、寛永17年の記がある棟札と銘札一枚、羅漢堂の扁額一面、須弥壇一基、十六羅漢像一括も、羅漢堂の価値をさらに高めるものとして附指定になっている。

また、建立時の勧進名簿や願文約千紙近くが長押上小壁に木箱にて残され、当時の風俗を知ることができる。』

                    出典:【浄土院羅漢堂の説明板】より