浄土院には石造の層塔、十一か十二か十三重かの塔がある。

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クリックで大きくなります 鎌倉時代(十三世紀)に造られた、総高378.5cm・基壇80.0cm・角厚22.2cmの石塔で、花崗岩の一柱に統一した瀟洒な均整美をほこり、民間伝来の石塔として随一の造形美を有す。かつて近代日本に「鉱山王」の異名を取り、政治家として活躍した久原房之助<1869~1965>が惜愛したもの。端正で、いわゆる「都ぶり」を遺憾なく発揮しながら層数の変化など、奔放にして優美、純美可憐さをあわせ持った絶妙な塔と評される。

                      出典:【石造層塔の駒札】より

この石塔を愛したという久原房之助(くはらふさのすけ)は、明治2年(1869)に長州・萩の城下に生まれている。

長じて、現在の日立製作所の基盤となる、赤沢銅山を買収し、これを足掛かりに事業を拡大するも、大正末期に義兄・鮎川儀介に事業を譲渡する。これが現在の日産自動車の基となる。

昭和に入ると政界に乗り出し、タカ派で軍部よりの政治家であり、二・二六事件にも関与したと云われている。

戦後、衆議院を一期務め、昭和40年95才で、その生涯を終えるのである。そんな久原房之助が惜愛したと云われるのが、この石塔なのである。