熊野神社のある東大路通と丸太町通が交差する所に『八ツ橋』を商いとする老舗が二軒ある。

『八ツ橋』を造り販売する店は多いのだが、昔から『八ツ橋』といえば、聖護院の名がすぐに浮んだものである。

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『八ツ橋』といえば、京みやげの定番であり、特に聖護院の『八ツ橋』と言われものである。

『八ツ橋』は米の粉と砂糖をこねて蒸し、赤砂糖、ニッケン、ケシを加えてこね、それを焼いて、巾2.5cm、長さ6cmくらいの櫛形に丸くなった煎餅である。

『八ツ橋』はその材料からニッケンの味が強く、最近ではその味を薄くし中に餡子などを入れ、焼かずに造った『生八ツ橋』にその座を奪われてしまった感がある。

『八ツ橋』の起源は江戸時代の始めに、筝曲家の八ツ橋検校が亡くなったとき、師匠を思い琴の形を模して作ったといい、

また在原業平の和歌で有名なカキツバタの名所、三河の八ツ橋の風景を写したものとも言われている。

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聖護院には『八ツ橋』を売る店が二つあり、いずれも創業は江戸時代の元禄2年(1689)になるという。

その一つが、「本家西尾八ツ橋」、創業は元禄年間といい、聖護院の森「八ツ橋屋梅林茶店」になるという。

京に八ツ橋の店は多いが、300年以上の歴史を持つのは「本家西尾八ツ橋」と、その向いにある「聖護院八ツ橋総本店」だという。

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「聖護院八ツ橋総本店」も300年以上の歴史があり、八ツ橋検校が亡くなり黒谷金戒光明寺に葬られると、

多くの門弟が墓参に訪れたといい、その参道である聖護院の森に、黒谷さんの「黒」と鶴の鳴き声から名付けられたという「玄鶴堂」という屋号で、

琴の形をした干菓子を売り出したのが『八ツ橋』の始まりといい、その場所が今の「聖護院八ツ橋総本店」の地だという。