光悦寺からは西南の方角に、鷹峯三山が眺まれる。

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鷹ケ峰の地は、金閣のある衣笠の山々が北に伸びて北山と接する辺りで、京七口の一つ長坂口から丹波・若狭へと続く鯖街道の入口にあたる所である。

その昔はお土居の外いわゆる洛外の地で、野党、追剥の出没する土地であったのだが、元和元年(1615)に本阿弥光悦が徳川家康からこの地を拝領し、芸術村を造り一大集落をなしたのである。

紅葉や桜の季節以外は訪れる人も少なく、小鳥のさえずりを聞きながら静かに散策が出来るのである。

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その鷹ケ峰にそびえるのが、東から鷹峯(鷹ケ峰、たかがみね)、鷲峯(鷲ケ峰、わしがみね)、天峯(天ケ峰、てんがみね)と呼ばれる鷹峯三山である。

その姿は昔より多くの人に親しまれ、花札の芒(すすき:俗に坊主ともいう)の絵柄は、この鷹峯の山を表したものだという。

ちなみに鷹峯三山は、大文字山から北方につながっており、山自体は金閣のある衣笠の地にある。