光悦寺には七つの茶席があるのだが、そのうちの一つ「大虚庵」は、光悦翁終焉の場所といわれる。 |
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大虚庵は光悦翁の没後、廃滅したが大正4年(1915)に再興をされる。 |
大虚庵は、切妻造杮葺で前面に附廂があり、入口にはには板戸二本引きの、にじり口、内部は五帖台目で床の内は土天井とし隅を塗廻として昔の大虚庵茶室の名残を残している。 |
参照:【光悦寺縁起 光悦寺の茶席】より |
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大虚庵の前には垣根があるが、光悦垣とも臥牛垣とも呼ばれ、上部に竹を細かく割って束にしたものを、 |
半月状に緩く曲線を描くように取り付け、その下に粗く割った竹を菱形状に組んでゆくという竹垣であり、本阿弥光悦が創り出したものと云われている。 |
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その横には、まだまだ色づくには早いのだが、少しだけ紅く染まったカエデの木が、まわりの緑に溶け込んで早い秋の風情をかもし出していた。 |
紅葉の季節には一面紅に染まり、さぞかし綺麗であろうと思ったが、またその時には、ここも人で埋まるのだろうと、そんな他愛もないことを考えていた。 |
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