吉祥山正伝護国禅寺といい、臨済宗南禅寺派の寺院である。鎌倉時代の禅僧、東巌慧安(とうがんえあん)禅師の創建になり、

弘安5年(1282)に加茂の祠官、森経久が荘園を寄贈して、堂塔伽藍を造営したと伝えられる。

五山送り火の一つ「舟形」がある船山の山腹にあり、おとずれる人も少なく、ひとときの静寂を楽しむことができる。

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正伝寺の拝観には、この鉦を二度打てとあり、叩こうかと思っていると、先に大学生であろうか二人の若者が先に鉦を鳴らしたので、その後について拝観料400円を納め、方丈へと入らせてもらった。

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正伝寺の方丈は、伏見桃山城に使われていた聚楽第の一部であった御成殿を、承応2年(1662)に、この寺に移して本堂としたものである。

方丈の襖絵は、狩野山楽の筆になり、淡彩山水画で中国杭州西湖の風景が描かれている。

クリックで大きくなります 方丈広縁の天井は、関ヶ原合戦の直前に徳川方の鳥居元忠以下、千二百名が立て籠もった伏見城を西軍が攻め、元忠以下全員が討死にした時に流れた血が付いた廊下を天井としたもので、その夥しい血のあとが残っているのである。血天井はその他に、鷹ケ峰山麓の「源光庵」、三十三間堂近くの「養源院」、大原の「宝泉院」、宇治の「興聖寺」などに残っている。

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正伝寺は、文永・弘安の二度にわたる元寇の国難に際し、東巌慧安禅師は日本の国を守りたいと、八幡大菩薩に「蒙古降伏祈願文」を捧げた。

その末尾に、国家の安泰と国民の平穏を願い

「末の世の すへの末まで 我国は よろずの国に すぐれたる国」

と詠んでいる。

                   参照:【吉祥山正伝禅寺のパンフレット】より