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神光神社から南西に200mほそ歩くと「大将軍社」の石碑が建つ。この石碑がある四つ角を南に行くと、大将軍神社である。

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大将軍神社は、桓武天皇が平安京の造営にあたり、王城鎮護のため、平安京の四隅に造ったという「大将軍社」の一つと言われているが、その確証はない。

ちなみに四つの大将軍社とは、東に「東三条大将軍社」、西に「大将軍八神社」、南に「藤森神社境内大将軍社」とおかれ、北は「今宮神社境内大将軍社」あるいは、この「西賀茂大将軍神社」と言われている。

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大将軍神社は、西賀茂一帯、すなわち旧今原村・鎮守庵村・総門村・田尻村の産土神(鎮守神)である。

祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)で、毎年10月23日に行われる例祭は旧四ケ村が交代で務める慣行が今に伝えられており、方除け、安産の神として信仰が深い。

大将軍の社名は、桓武天皇が平安京を造営されるに際し、王城鎮護のために四方の隅に大将軍を祀られたことに由来すると伝えられ、当社のほかにもその社名は見られるが、いずれも由緒は明らかではない。

当社もその例外ではないが、古くは角社(すみのやしろ)とも呼ばれるように平安京の西北隅に位置して方違(かたたが)えの神としても信仰を集めてきたと考えられ、往年は祭礼も盛大を極めた。

当社の背後には瓦屋の窯跡があり、付近は朝廷木工(もく)寮に属した瓦屋の所在地で、瓦屋の鎮守神であったとも伝えられている。

                   出典:【大将軍神社の駒札および説明板】より

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現在の本殿は、天正19年(1591)に造営された上賀茂神社摂社片岡神社本殿を、寛永5年(1628)から同13年の間に移建したものである。

また、現在当社に伝わる釣り燈籠の一つに、「賀茂片岡社御金燈籠 天正拾九年六月□□」の刻銘がみられ、釣燈籠も片岡神社から譲り受けたことがわかる。

建物は、大型の一間社流造で、装飾的要素がほとんどなく、賀茂社系統の本殿の特色をよく残している。

更に、一部に後補材がみられるものの、上賀茂・下賀茂社関係の社殿のなかで現存最古のものと考えられる貴重な遺構であり、

また、境内には本殿をはじめ珍しい形式の割拝殿や摂社・末社等が建ち、そのまわりを樹木がとり囲んで鎮守の森としての景観をよくとどめている。

                     出典:【大将軍神社の説明板】より