| 宇多天皇が先帝の遺志を継いで創建し、年号に因んで「仁和寺」と称された。宇多天皇が譲位後この寺に入られ、以来、法親王が入ることから、門跡という言葉はこの寺から始まったという。 |
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| 平安時代前期に第58代光孝天皇が創建に着手したものを、第59代宇多天皇が仁和4年(888)に完成させ、年号に因んで「大内山仁和寺」と名付けられた。 | |
| 宇多天皇は譲位後出家して、仁和寺を住坊とし、30余年間修行に専心され、法皇が御座する室ということから、御室という名が地名として残るのである。 |
| 以後、明治維新まで約千年の間、皇子皇孫が門跡として法燈を伝え、寺域は8Km四方にわたり、堂塔伽藍が並び、 |
| 塔頭寺院が60を数えたというが、応仁・文明の戦火で全伽藍を焼失し、双ヶ岡西麓に仮御所をもうけた時期もあった。 |
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| 現在の伽藍は、江戸時代初期の寛永14年(1637)に徳川家光の協力を得て再建されたもので、 | |
| 御所紫宸殿を移して金堂(国宝)とし、御影堂・観音堂・鐘楼・五重塔・経蔵・二王門(いずれも重要文化財)などは当時の建物である。 |
| 仁和寺は現在、真言宗御室派の総本山であり、境内は御室(おむろ)御所跡として史跡に指定されている。 |
| また、中門の西奥には「御室(おむろ)の桜」と呼ばれる里桜があり、遅咲きの桜の名所として有名で、名勝に指定されている。 |
| 参照:【仁和寺の駒札】より |
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