広隆寺には日本で第一号の国宝となった、木造弥勒菩薩半跏像がある。 |
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この先が、国宝の第一号に指定され、教科書にも載っていて、誰ひとり知らない人はいない「木造弥勒菩薩半跏像」が展示されている、霊宝殿のあるところである。 |
拝観料は700円。今回は、弥勒菩薩を見るのは次の機会に譲ることにしたのだが、 |
あとで調べてみると、ここには二体の弥勒菩薩があるそうで、その名も同じ「木造弥勒菩薩半跏像」なのだが、 |
よく知られているのは、通称「宝冠弥勒」といい、ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を「真に完成されきった、人間実存の最高の理念があますところなく表現されつくしている」とまで云った仏像である。 |
聖徳太子の頃に関わる仏像の殆んどは、奈良に集中しているのだが、京都で飛鳥初期の仏像を見ることが出来るのは、この広隆寺をおいてほかにはない。 |
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もうひ一つの弥勒菩薩が、「泣き弥勒」といわれるもので、沈うつな表情で右手を頬に当てた様子が泣いているように見えることから、 |
泣き弥勒と呼ばれているもう一体の弥勒あるのだが、先の「宝冠弥勒」には勝てないで涙を流しているようである。 |
そんななかで、昭和35年(1960)8月に弥勒菩薩の頬にあてた右手を折るという事件が起こったのである。京都大学の学生がどんな気持ちからか、国宝の指を折るということをしてしまったのである。 |
当時は誰でも触れることができるほどの距離に置かれていたのだが、こんな不祥事は起こり得なかったのだが、魔が差したと言おうか、頬に当てた指を折ってしまったのである。 |
触れてはいけないものに触れてしまい、それが予期せぬ出来事を引き起こしてしまったということで、一大センセーションをおこしたのだが、 |
本人は起訴猶予となり、弥勒像も完璧なまでの修復で、折損したことすら分からない姿で今も、広隆寺に安置されている。 |
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