「山ノ内」で電車を降り、三条通から小さな道を北に入り、歩くこと3分で、山王神社となる。 |
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山王神社は、その名に示されるように比叡山の自主神であり、平安末期に、この辺りが比叡山延暦寺の寺領だったことから、日吉大社を分霊し祀ったのが始まりだという。 |
境内には、水琴窟、親鸞聖人の足跡石や座石、夫婦和合の男女岩などがある。 |
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山王神社に掛る駒札によると、 |
『山王神社は、白河天皇の御代約九百余年前に、滋賀県坂本の日吉山王大神を勧請した古いお社である。山之内は、往時比叡山天台宗延暦寺の寺陵あり、普賢寺と号する良眞座主の西の京禅房があった。 |
その守護神として山王大神をお迎えしたのであり、御祭神の大山咋神(おおやまぐいのかみ)、玉依姫神(たまよりひめのかみ)は御夫婦神で、 |
大巳貴神(おおなむちのかみ)は大国主命の別の御名であり、酒造り、施薬治病の業を始められた神、縁結び福の神として慕われ信仰されている。 |
境内に、男岩、女岩があり、昔は御神前の両側にあって、両岩を撫で祈願をこめ縁結び、安産子授けを祈ったものである。尚、御神には平安末期作の特色を持つ、一木造り男神像もお祀りしている。』 |
出典:【山王神社の駒札】より |
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また、平成13年には水琴窟が復元され澄んだ音色を響かせているが、残念ながらここは非公開となっている。駒札によると、 |
『庭園は風格を備え、当時の優れた造園技術による。巨岩の運搬は、稀有の価値が認められ、近世豪族の影響が伺われる。 |
元文5年申歳、山王大権現と刻まれた銘石が歴史の重みを現わしている。山王神社は平成13年6月復元された水琴窟の「音」を大地を司る神として知られる、大地主神(おおとこぬしのかみ)として奉って居ります。 |
庭中央降り蹲踞より落ちる水滴は地中に収められた水盤で水と出合い、大地の声として響いてくる。 |
手蜀石、湯桶石の投石による音響効果が創造的幽玄の世界を演出し、日本の心の文化を見事に表現している。 |
大正8年大楠を含む景観的配慮による整備がなされた。平成14年門の移築により、21世紀庭園に趣を増した。』 |
出典:【大地主命 山王神社水琴窟の駒札】より |
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夫婦和合、安産祈願の男岩女岩があり、現在も篤く信仰されている。 |
『夫婦の和合、安産、子授けの岩として古来より信仰篤く、古説によると、両岩を撫でて子授けを祈り、両岩を左より三回廻って安産を祈る習慣がある。 |
嬰児の初宮詣の時には、神酒、洗米、梅干をお供えした後、梅干の皮で鼻をつまみしわのよる迄長命で、鼻高出世を祈り、種は女岩中央窪みに納め、神酒を注ぎ、子孫繁栄を祈る習慣は今も伝えられている。』 |
出典:【夫婦岩 右男岩 左女岩の駒札】より |
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そして境内の一角に、親鸞聖人が諸国伝導行脚のおりに、ここに立ち寄り一片の石に腰を降ろし、またその足跡を印したという石が残っている。 |
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