京都国際マンガミュージアムの裏といった方がいいなか、龍池小学校の跡といった方がいいなか、そこに二つの石碑が建っている。その一つが「此附近 二条殿址」という石碑である。 |
京都国際マンガミュージアムは御池通が入口であり、姉小路通からは関係者以外は入ることは出来ないのだが、そきおに建つのが「此附近 二条殿址」の石碑。 |
二条殿は、南北朝時代の公家で歌人・連歌の大家として有名な、二条良基の邸宅だった所である。 |
御池という名の由来となった、龍躍池が邸内にあったという。 |
天正5年(1577)には、織田信長がここを好み、暫らく移り住んだという。 |
しかし、天正10年(1582)の本能寺の変で、信長の長男・信忠がここに籠るが、明智光秀の兵に囲まれ自害をし、それとともに建物も焼失してしまうのである。 |
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