東京の四谷界隈のぶらり歩きから、急遽ワープをし京の町へと戻った。 |
京の町は7月1日から祇園祭に入り、町のあちこちで祭モードが高まっている。 |
一昨日、高倉三条にある「京都文化博物館」で催されている「平清盛展」を見にいったのだが、 |
ここから京都駅まで市バスはなく、久し振りに地下鉄に乗ろうと、姉小路通を烏丸通まで歩いた。 |
烏丸通に出て、そこで目に入ったのが鉾立ての光景である。祇園祭でいつも見るのは優雅に着飾った山や鉾で、その途中の枠組だけの山鉾というのは始めてで、かえって新鮮な感じがしたのである。 |
この山は「鈴鹿山」という山で、駒札によると、 |
『鈴鹿権現をまつる。 |
東海道の難所である伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治したという鈴鹿権現(瀬織津姫命(せおりつひめのかみ))を、金の烏帽子(えぼし)をかぶり手に大長刀を持つ女人の姿であらわす。 |
山洞には鬼首を示す赤熊(しゃぐま)を掛け、この山に限って松には鈴鹿関をあらわす山・木立・鳥居裏面に宝珠を描いた絵馬がつけられ、盗難除けの御符として珍重される。 |
前掛は平成元年新調の「黄砂の道」と称する駱駝の図綴織、胴掛は平成11年新調の「桜図」と平成13年新調の「紅葉図」で、 |
供に今井俊満原画の綴織、見送は文化13年(1816)購入の中国明代の雲龍文様、天啓2年(1622)の年記を持つ紺紙金泥文字、 |
明治35年製作の牡丹鳳凰文様刺繍を伝えるが、昭和57年より皆川月華作の染彩ハワイの蘭花を用いる。 |
欄縁金具は、山鹿清華下絵の四季花鳥文様、旧胴懸の中国清朝の綴織は百仙人つづれ錦、屏風綴幔幕と呼ばれ大切に保存されている。』 |
出典:【鈴鹿山の駒札】より |
とある。後ろに見える建物が「新風館」である。 |
烏丸通から姉小路通を西に、姉小路室町には「役行者山」が立つ。駒札によると、 |
『山の御神躰(人形)として役行者と一言主神と葛城神の三体を安置し、この組合せは役行者が一言主神を使って葛城と大峯の間に橋をかけたという伝承を想起させる。 |
正面の洞に役行者が角帽子、袈裟、鈴杖を持って座し、葛城神は女体で手に宝輪と末広とを持ち、一言主神は鬼形で赤熊(しゃぐま)をかぶり手に斧を持っている。 |
水引は綴織の名手とうたわれた西山勘七作の唐子遊図(からこあそびのず)、前掛は牡丹胡蝶図と雲龍文との三枚継ぎ、 |
胴掛は雲龍波涛文の綴錦、見送は二種あり、袋中上人請来と伝える朝鮮軍旗竜文のものを二枚合せ、縁を赤地古金欄(安楽庵裂)で縁どったものと、 |
中国明朝の官工場で織られた紅地唐美人図の綴錦とがあり、二つを一年交替に用いている。』とある。 |
出典:【役行者山の駒札】より |
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