隋心院の辺りはまた、小野小町の屋敷があった所と言われ、北門を入るとすぐに「小町化粧井戸」が残っている。

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「小町化粧井戸」の石碑が建つ。井戸ではあろうが、そこに水が湧いている様子もなく、

今はここで化粧の水を汲んだとも思えないような井戸跡が残っているのだが、

この辺りが小町の屋敷跡と言われ、その邸内にあったのがこの井戸である。

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小野小町は平安時代前期の人と言われ実在した人物だったようであるが、その出自や没年は不明である。

生まれは、秋田県湯沢市小野とも、また福島県小野町、また福井県越前市とも言われ、京都山科のこの小野の地で晩年を過ごしたともいう。

また小町の墓なるものが全国に存在する。東北から関東、京都から山陰・山陽とその場所は多岐にわたっている。

このようなことから、小町は本当に存在したのだろうかという疑問も湧くが

『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』

など小町の詠んだ多くの歌が残っているので実在の人物だったのだろう。

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描かれた小町の姿は、その殆どが「うしろ姿」であり、顔をみることが出来ない。

その顔を描けば、美人が美人で無くなってしまうということを知っていた絵師が、顔を描かなかったことで、美人のイメージを見るものに膨らませ、美人の伝説を作り上げていったのである。