随心院はまた、小野小町にゆかりのある寺なのである。 |
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随心院の庫裏の前には、 |
『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』 |
と、小町が詠んだ歌碑が建つ。その駒札によれば、 |
「謡曲「通小町」の前段、即ち深草少将が小町の許に百夜通ったという伝説の舞台がここ隨心院である。 |
その頃小町は現在の隨心院の「小町化粧の井」付近に住んでいた。 |
積る思いを胸に秘めて訪ねて来た少将であったが、小町は冷めたかった。 |
少将は「あなたの心が解けるまで幾夜でも参ります。今日は第一夜です」と、その標(しるし)に門前の“榧(かや)の木”の実を出した。 |
通いつめた九十九夜-その日は雪の夜であった。門前にたどり着いた少将は疲れ切って九十九個目の“榧の木”を手にしたまま倒れ再起出来なかった。という。 |
隨心院の境内には思い出の「文張地蔵尊」「文塚」があり、道筋には榧の大木”がある。」 |
出典:【謡曲「通小町」と随心院の駒札】より |
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小野小町は、クレオパトラ・楊貴妃と並び、世界三大美人の一人と言われているように、たぐいまれなき美人だったようである。 |
しかしクレオパトラの美貌は色あせて、楊貴妃はその身をもてあましていたようで、 |
真の美人は小野小町だったと言われるが、小町もまた卒塔婆小町にみられるように、晩年の姿はその美を留めてはいない。 |
世の美人の定義として、男をもてあそび時代の流れを変えたということであれば、今の世に美人は存在しないのであるが、 |
いずれにしても美意識は個々によって夫々で、蓼くう虫も好き好きで、個別に美人の定義は異なるのである。 |
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