醍醐寺から小野の随心院へと向う途中に、朱雀天皇醍醐陵があり、そして醍醐天皇山科陵にも出会うことになる。

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朱雀天皇陵から随心院へと向うのに、またまた道を道を間違えて、なかなか随心院にたどり着くことが出来ず、そんななか民家と民家とに挟まれるようにして「醍醐天皇山科陵」があった。

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民家の間を通る参道を奥へと進む。

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醍醐天皇は平安時代の在位、寛平9年(897)から延長8年(930)の第60代の天皇である。

34年の長きにわたり親政を行い、その時の左右大臣に、藤原時平と菅原道真がいる。

また延喜5年(905)に紀貫之らに命じ「古今和歌集」を選択させている。

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この醍醐天皇の治世は、後に「延喜の治」と呼ばれ、治世の鑑とされた。

しかし昌泰4年(901)に、時平の讒言を聞き入れた醍醐天皇が道真を九州の大宰府に左遷し、道真がそこで亡くなるのと、

都には天変地異が続き藤原時平は39才で、またそれにつながる天皇家の人々も早世し、道真の祟りと恐れられたのである。

醍醐天皇も清涼殿に雷が落ちた頃から体調を崩し、46才で醍醐寺の北、笠取山の西、小野寺の下に埋葬されたのである。