一言寺から旧奈良街道に戻り、醍醐寺へ向い北に歩く途中に腹帯地蔵と呼ばれる地蔵尊を祀る「善願寺」がある。 |
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善願寺は旧奈良街道に面して建っていて、平重衛の夫人である「佐の局」が安産祈願をして、子供が授かったので建物を寄進したと言われている。 |
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その説明書きによれば、 |
『天台宗のお寺で、山号を誓弘山といいます。お寺の起源は、桓武天皇の頃、光明皇后の発願によって、行基菩薩が地蔵尊を本尊として創建されたと伝えられています。 |
999年~1003年頃(長保年間)恵心僧都源信により現在の場所に再興され、丈六の巨大な地蔵尊を造り、 |
広く女性の難産の患いを救うため、一千日の間、一千部の地蔵菩薩本願経を読誦、写経してその胎内に納められました。 |
ご本尊のお地蔵さんは京都では一番大きな地蔵大仏で、優しいお顔と法衣の下に腹帯に良く似た下裳が見えることから、「腹帯地蔵さん」と親しまれています。 |
古くから安産・子育て・先祖供養のご祈願を受けて、現世利益をもたらしてくださるので有名です。ご本尊は重要文化財に指定されています。 |
寺伝によれば、平重衛の夫人「佐の局」が近くに住まれ、安産を祈願して無事授かった為お礼に建物を寄進されたといいます。』 |
出典:【善願寺の説明板】より |
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