日野から醍醐へ旧奈良街道を北へと向かったのだが、目指す「一言寺」がなかなか見つからず、奈良街道を行きつ戻りつした。

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京阪バスの「一言寺」のバス停があり、そこから北すぐに『一言寺観世音』の石碑を見つけ、ここを東に入って行くと、目指す「一言寺」があることが分かった。

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一言寺への参道は、席ほどの石碑から少し登りとなり、最後はこの石段をあがって山門となる。

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山門を入ると、その横にヤマモモの大木がある。この大木は京都市の天然記念物に指定されているもので、高さ9.2m、周囲が3,28m、直径が10mある円形の樹冠をしている。

樹齢を重ねてはいるが毎年々々その大木はヤマモモの実を沢山つけるのである。

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一言寺の説明板によれば、

『真言宗醍醐派のお寺で金剛王院、通称一言寺と言います。明治7年(1874)金剛王院の祖聖賢を開山とする醍醐三流の一つ金剛王院と合併しました。]

ご本尊の千手観音さんに一心に祈れば言下に願いがかなうことから、一言寺の名がおこったと伝えられています。

「ただたのめ、仏にうそはなきものぞ、二言といわぬ、一言寺かな」
の御詠歌の額が本堂の軒下にあります。

寺伝によれば、高倉天皇の中宮「建礼門院」に仕えた少納言藤原通憲(信西)の娘「阿波内侍」が出家して「真阿(しんな)」と名乗り、清水寺の観音さんの霊告によって、一言寺を建立したと伝えます。

仁平年中珍海はここに住み、密教の仏画を多く残し、阿波内侍坐像は、元禄7年画像を基に造られたと記録に残されています。

本堂は、文化7年(1810)の再建で、江戸時代を代表する建築の一つです。内陣の中にさらに土蔵造りの奥内陣がある珍しいものです。

一言観音と呼ばれる秘仏千手観世音菩薩像は、この中に安置されています。』

                      出典:【一言寺の説明板】より

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「びんずるあん」と呼ばれ親しまれている賓頭盧尊者。お釈迦様の弟子で、仏法を守り広めることに力を尽くした十六羅漢のうちの第一導者にあたる。

医者の心得と神通力で、民衆の病を治し救済をしたという。病を衆生の身代わりとなり、人々に幸せを授ける願いから「なで仏」として、人々が触れることのできる場所に祀られている。

病や痛みと同じ部分をなでると、不思議な力で病を癒してくれるという、じかに手で触れることのできる身近な仏さまである。

                    参照:【びんずる導者のお話の駒札】より

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山門から醍醐の町を眺めると石段下に、桜の花が春の名残を惜しむかのように、醍醐の町を包み込むように花いっぱいに咲き誇っていた。