| 岩屋寺は大石内蔵助の閑居があったところであり、誓願成就したときに、大石の住まいした所、一切を岩屋寺に寄進したという寺であり、別名を「大石寺」ともいう。 |
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| 神遊山岩屋寺と号する、曹洞宗のの寺であり大石内蔵助と繋がりの深い寺である。 | |
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| 岩屋寺の由緒は、その駒札によると、 | |
| 『創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で神遊山金地院と号する。 |
| 古来は隣接する山科神社の神宮寺であったと伝えられる。赤穂義士・大石良雄(通称大石内蔵助)の隠棲地として有名で、大石寺とも呼ばれる。 |
| 本堂に安置する本尊大聖不動明王は智証(ちしょう)大師の作とされ、大石良雄の念持仏であったという。 |
| またこの立札の右手奥には大石良雄の遺髪塚及び宅址がある。 |
| 赤穂城明渡しの後、彼はここに隠れてひそかに討ち入りの謀を巡らしたが、事成って後、邸宅、田畑等一切を岩屋寺に寄進した。 |
| その後、一時は荒廃したが、嘉永年間(1848~1854)に京都町奉行浅野長祚(ながとし)らの寄付をうけて再興した。 |
| 境内には本堂と明治34年(1901)に建立された木像堂があり、浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)公の位牌をはじめ、四十七士の木造や位牌、大石良雄の遺品等が安置されている。 |
| 12月14日には義士忌(ぎしき)が行われ、「山科義士まつり」で知られる討ち入り当時を再現する行列が訪れる。』 |
| 出典:【岩屋寺の駒札】より |
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| その境内には、大石が祈願したという「弁財天」が祀られており、討ち入り成就を密かに祈ったのであろうか、その弁財天が今に残る。 | |
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| この岩屋寺からは山科の町が眼下に」一望することができる。 | |
| 冬枯れの景色は、緑も紅もない淡色の景色なのだが、大石もここから山科の町」を眺めながら、吉良邸への討ち入りを思い巡らしていたのであろうか。 |
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