諸羽神社から西に住宅街に出て、北にまっすぐに延びる一本道を7分ほど歩くと、安殊橋が見えてくる。 |
安殊橋は、琵琶湖疏水に掛かる橋で、疎水は東から西に(写真では、右から左に)京都市内へと流れてゆく。 |
琵琶湖疏水は、明治23年(1890)に、滋賀の琵琶湖の水を京都へと流すために作られた水路であり、帝大出の若干23才の田辺朔郎によって掘削されるのである。 |
この山科安殊の地を流れる疎水は、第一疎水で大津の三保ケ崎から京都の蹴上までを流れている。 |
蹴上で疎水は分流し、南禅寺の水路閣を流れ、哲学の道に沿って堀川に至る流れを、疎水分線と呼ぶ。 |
その後に、第一疎水に沿って。その殆どが暗渠となって京へ流れる第二疎水が、明治45年(1912)に完成する。 |
疎水はさらに、蹴上から船溜を経て、平安神宮の横を流れ、白川と合流する流れを「鴨東運河」と呼び、 |
その流れが夷川ダムを過ぎ、鴨川の左岸に沿って南に、伏見まで流れる水路を「鴨川運河」と呼び、 |
それぞれの流れは、京の暮らしと結びつき、京の四季折々の風情と結びつき、京都らしい景観を醸し出しているのである。 |
安殊橋の北詰には「毘沙門堂是ヨリ三丁」との石碑が建つのだが、ここから疎水の下流には、 |
自然の川である安祥寺川と琵琶湖疎水とが交差するところがあり、疎水の流れとしては珍しい景色である。 |
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