諸羽神社のある諸羽山の麓には、人康(さねやす)親王の山荘があった所である。諸羽神社の参道横の林のなかに「人康親王山荘跡」の石碑が建っている。

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人康親王は天長8年(831)から貞観14年(872)を生きた人物で、仁明天皇第四皇子である。貞観元年に目を患って出家をし、京都市山科区四ノ宮の諸羽山の麓に隠棲をした。

人康親王が仁明天皇の第四皇子であった事から、この地を四ノ宮と呼ぶようになったとも言われている。

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人康親王はまた琵琶の名手で、山荘にて琵琶や詩歌を教えた。人康親王の死後、側に仕えていた人に検校の位を与えたのが、当道(盲目の男性が集まる組織)での検校という衣冠の始まりだと云われている。

諸羽神社のなかには、人康親王の山荘にあった石で、親王が坐って琵琶を弾いたと云う「琵琶石」が残っている。

また、伊勢物語に登場する「山科の禅師親王」は、人康親王のことである。