光照院門跡からさらに北に歩くと、千代野御所と呼ばれた、上京で四つ目に出会った、尼門跡の「宝慈院」に出会う。

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旧千代野御所である宝慈院の山門は、何時もは開いていて、その先にある駒札が見えるのだが、訪ねたとくは門は閉まっていた。

どうしたのかと山門横に貼ってあったお知らせ文を読むと、11月15日から12月上旬まで解体工事の為、門を閉めますとあり、何時もは開いている門は閉まったままであった。

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千代野御所と呼ばれる、宝慈院は、その駒札によると、

『樹下山(じゅげざん)と号し、「千代野御所」と称する尼門跡寺院の一つで、無外如(むげにょ)大尼によって創建された景愛尼寺の支院である。

寺号は、はじめ資樹院と称したが、応仁の乱の後、宝慈院と改められた。

光巌天皇皇女華林恵厳(かりんえごん)尼が住持のとき、如大尼の幼名千代野姫に因んで「千代野御所」と号し、紫衣を許された。

これ以後当院の住持は、皇族、あるいは公卿の女子と定まり、江戸時代には比丘尼(びくに)御所の一つに列した。

本堂は天明8年(1788)の大火後の再建。

収蔵庫に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は寄木造丈六の坐像で景愛寺の旧仏といわれる。

脇壇には仏光国師像と無外如大坐像(重要文化財)をまつる。

                       出典:【宝慈院の駒札】より