同志社大学新町キャンパスは、その昔、日本電池があった所である。

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新町キャンパスの南側に、それを記す石碑と旧日本電池の建物の壁の一部が残り、ここが日本電池発祥の地であったことを示している。

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クリックで大きくなります 石碑には「日本電池発祥地」と刻まれている。同志社の学生は、ここにこんな石碑があるのを知ってか知らずか、誰も目に留めることなく通り過ぎてゆく。それとも、入学当時に散々見飽きてしまったのであろうか。

一部再現され残された壁には、

同志社大学 旧臨光館(旧日本電池 本社社屋)外壁の一部再現について

『1917(大正6)年,GSバッテリーの製造で知られる日本電池株式会社(現 株式会社ジーエス・ユアサ コーポレーション)がこの地で誕生しました。

島津製作所が1912(大正元)年から当地で営んでいた蓄電池工場を母体とし,当時の政府・財界の協力で設立されたものです。

蓄電池需要の増大に応えるため,1921(大正10)年には,地上3階,地下1階,延べ 2,970㎡の本社社屋が完成しました。

関東大震災(1923年)以降に普及していく鉄筋コンクリート造を先取りし,伝統様式から脱皮したセセッション式の外観をまとい,エレベーターや暖房設備まで備えた,当時としては先進的な建物でした。

本社が西大路に移った後も今出川工場として稼働してきましたが,1959(昭和34)年に学校法人 同志社が買い取り,本社社屋を「臨光館」と命名し,増築-改造を加えながら活用してきました。

建設後80年以上にわたって活躍してきた臨光館ですが,このたび新しく生まれ変わることになりました。

取り壊すことになった旧臨光館については,その歴史的価値の詳細な調査,記録を行うとともに,

同志社購入時に建てられた「日本電池発祥の地」の石碑と並べて,ここに当初の外壁の一部を再現することにしました。』

とあり、ここが新町キャンパスとなる前は、同志社大学臨光館として、旧日本電池の本社建物が使われていたことが記されている。

                 出典:【再現保存された外壁の説明文】より