葉山観音を出て、清賢院をみて南に下り、道を間違った三叉路を南に行くと、すぐに、西円寺と園光寺の二つの寺院が並んでいる。

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西円寺という寺院があるが、ここは非公開で、門から中を覗いてみると、

母子らしい女のひとが本堂を仲良く掃除をしている光景が目に入り、今の世の中、何かほっとしたものを見た様な気がしたのである。

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西円寺の横には、園光寺がある。この寺院は、徳川家康の開基になる寺で、三要元佶(さんようげんきつ)和尚を開山として建立された。

三要元佶和尚は関東下野の足利学校の第九代学頭で、最初は慶長6年(1601)に、伏見の指月に園光寺として設立されたが、

その後、相国寺に移ったが、元和年間(1615~1623)に焼失し、寛文7年(1667)に、今のこの地に移っている。

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家康はここで、僧侶や武士に儒学を学ばせ、木製活字による多くの書物を出版させた。

その時の、現存する日本最古の木製活字が数多く保存されているのも、特筆すべきである。

また、池泉式回遊庭園は「十牛(じゅうぎゅう)の庭」と呼ばれ、栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟があり、紅葉の季節には一面が朱に染まり、美しい景色を醸し出す。

その他に、家康を祀った「東照宮」や村山たか女の墓などがある。

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また、園光寺が比叡の山裾にあるとゆうことが良く分かる眺めである。その裾野に広がる京の町並みが一望できるのである。

                  参照:【園光寺の駒札・園光寺由来の説明書】より