きらら漬の老舗「穂野出」がある雲母坂なのだが、そにお斜め向かいには、一乗寺の地名の元となった『一乗寺跡』の石碑がある。 |
一乗寺という寺は、康平6年(1603)に、上東門院によって建立された、比叡山延暦寺の末寺、園城寺の別院とされる。しかしながら、延暦寺の衆徒により焼き討ちされ、その後、再建されるも、南北朝の楠木正成と足利尊氏との戦乱により焼失してしまい、廃寺となり、今にその姿は残っていない。 |
「一乗寺跡」と刻まれた石碑に書かれた碑文によると、 |
『今から893年前、 一条天皇の中宮で紫式部が仕上えた、上東門院の建立にかかる一乗寺は、 楠木正成と足利尊氏の合戦で焼失したと太平記に出でいる。 |
文献に依る考證の結果、現在、寺に縁りのある町名を多く残しているこの土地が、その寺趾と考えられる。 |
依って此処に碑を建てて記念とする。傍の礎石は、昭和34年1月3日、此の附近より発掘したもので、一乗寺礎石と考えられる。尚その近くから多数の地蔵石仏が出土されている。』とある。 |
雲母坂に迷い込んでしまったが、 |
次の目的は「詩仙堂」であり、ここからは雲母坂を下り、一乗寺下り松の角を左(東)に行こうかと思ったのだが、 |
再び元きた道まで戻り、この三叉路を右(南)に曲り、詩仙堂へと向かうことにした。 |
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