野鳥居前町に残るお土居の跡をみてから、元の道に戻り、紙屋川に架かる桜橋を渡り平野神社を抜けて、 |
西大路通の「衣笠校前」からバスに乗り、帰ろうと思っていたのだが、ここから千本ゑんま堂がすぐであり予定を変えて、ここを訪ねることにした。 |
![]() | お土居から少し北に歩きそして東に、千本通へと小さい路地のような道を歩いていくと、少し北に行き過ぎて、蘆山寺通から千本通へと出、そこから少し戻ると、通称「千本ゑんま堂」と呼ばれる「引接寺」がある。 |
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千本ゑんま堂は、その駒札によると、 |
『光明山歓喜院引接寺とごうする寺院で、本尊として閻魔法王を祀り、一般に「千本ゑんま堂」の名で親しまれている。 |
開基は小野篁卿(802~853)で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻魔之廟に使えたと伝えられ、朱雀大路頭に閻魔法王を安置したことに始まる。 |
その後、寛仁元年(1017)、叡山恵心僧都の法弟、定覚上人が「諸人化導引接佛道」の意を以て当地に「光明山歓喜院引接寺」を開山した。 |
現存の閻魔法王は、長享2年(1488)に造立されたもので、高さは2.4メートルある。篁卿は「お精霊迎え」の法儀を授かり、 |
塔婆供養と迎え鐘によって、この世を現世浄化の根本道場とした。以降、宗旨・宗派を問わない民間信仰が続いている。 |
五月に行われる千本ゑんま堂大念仏狂言は、京都三大念仏狂言のうち唯一の有限劇で、京都市無形民俗文化財に指定されている。 |
名桜「普賢像桜」は咲いた時に双葉を持ち、花冠のまま落ちる珍しい桜である。往時、この地に桜が千本あったことと、精霊供養の「千本卒塔婆」に由来して、「千本」という地名が生まれたと言われている。 |
また圓阿(えんあ)上人が至徳3年(1386)に建立した紫式部供養塔は、貴重な十層の多重石塔で、国の重要文化財に指定されている。』 |
出典:【千本ゑんま堂 引接寺の駒札】より |
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この千本ゑんま堂にある鐘楼では、毎年お盆の時季になると、ご先祖の精霊をお迎えするために鐘を撞き、その音によってあの世から帰ってくる「おしょうらいさん」を家に迎え、 |
また15日から16日にかけては、お精霊を送る鐘を鳴らしご先祖の霊を送り返すのである。そんな迎え送りの鐘がある鐘楼である。 |
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また萬倍のご利益が授かるという「ゑんまさまのお湯呑碗(萬倍碗)」が本堂の鐘の上にあるのだが、 |
何故こんな所にと不思議なのだが、伝えによると、お賽銭を投げてこの湯呑に入ると萬倍の利益が得られるというのだが、 |
この高さを投げて茶碗に入れるのはなかなかに難しい。それゆえに入った時の御利益は萬倍に値するのであろう。 |
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