豊臣秀吉が京都改造の折に、絡中と洛外を区分するために設けたのが「お土居」と呼ばれる堤である。 |
壮大な土木工事によって、京の町を土塁で囲みあげたのが「お土居」である。 |
![]() | お土居とは、天正19年(1591)に秀吉が、京の洛外内を区分するために築いた土塁と堀であり、東は賀茂川に沿って、北は紫竹上長目、上堀川町から紙屋川の東岸を南に、四つ塚、東寺のあたりから九条をへて鴨川のたもとに出る、総延長24Kmにも及ぶ遠大な土塁だったのである。 |
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今はその殆どが宅地開発という名によって無くなってしまい、その跡が残るのは京都市内でも僅かなものとなり、随分と形が変わったようであるが、ここ平野鳥居前町に残るお土居の跡である。 |
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余談だが、このお土居には北野天満宮の北門を出て、紙屋川に架かる「桜橋」の手前を北に少し入った所にあるのだが、うっかりすると見逃してしまうので気をつけて、ちょっと訪ねてみてください。 |
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