安楽寺天満宮から天神道に戻り、さらに北に歩くと、京都市指定有形文化財である「奥渓家住宅」の長屋門がある。



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この建物は、江戸時代に仁和寺門跡の御殿医を務めた、奥渓家の下屋敷跡であり、

正徳(1716)から享保(1724)にかけて建てられたものであり、現在もその子孫が住んでいて、残念ながら長屋門から内は非公開となっている。



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駒札によると、

『奥渓(おくたに)家は、大友宗麟の嫡男義統(よしむね)の次男にはじまると伝え、当家所蔵の由緒書によると、

元和6年(1620)の東福門院入内に際して供として上洛し、その当時の居宅は一条烏丸角にあったが東福門院の没後は別宅であった現在地に移ってきたという。

また代々医家で、第四代から七代までは仁和寺門跡の御殿医をつとめていたという。

主屋は、複雑な平面構成をしているが、基本的には東西棟の台所と書斎部分の南側に、玄関と座敷棟が突出した形になっている。

また、式台付きの本玄関、中玄関、玄関、台所大戸口と規模の割に出入口が多い点にも特色がある。

造営年代は、寛文6年(1666)から正徳6年(1716)の間に建てられた台所部分を原型に、増改築が繰り返され、幕末頃にほぼ現在の姿になったと考えられる。

長屋門は、享保9年(1724)に焼失後、同11年に再建されたもので、戦後南三間が取りこわされるなど多少変更されているものの、市街地に残る茅葺の門として価値が高い。

この主屋と長屋門はともに、旧御殿医の住宅遺構として貴重である。』

                  出典:【奥渓家住宅 二棟 主屋・長屋門の駒札】より