北野天満宮の参道である天神道をさらに北に、一筋目を左に折れると「安楽寺天満宮」がある。



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ここは菅原道真公が埋葬された「筑紫安楽寺」に因んで、この西之京に菅公の像を祀ったことに由来するという。

北野天満宮の創建以来、この地の七ヶ所に神供所がおかれ西之京の七保と呼ばれるが、ここ安楽寺は「一ノ保天満宮」と呼ばれた。

明治6年(1873)に北野天満宮に遷宮されたが、近年に再建されここを「天満宮旧蹟」と呼んでいる。



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西之京の七保は北野天満宮の神供所であったが、幾多の変遷があり今に残っているものは少ない。

殆どの社が維持することが出来ずに、北野天満宮に移されたり、他宗に売却されたりしている。

一ノ保:安楽寺天満宮といい、明治6年(1873)に北野天満宮に移るが、近年再建される。
二ノ保:文政9年(1826)に、北野天満宮に合祀される。
三ノ保:明治6年に、北野天満宮に遷宮される。
四ノ保:新長谷寺といい、元文5年(1740)に廃社となる。
五ノ保:満願寺といい、元禄15年(1702)に日蓮宗に売却される。
六ノ保:阿弥陀寺といい、寛保3年(1743)に真言宗に売却される。
七ノ保:成願寺といい、元和2年(1616)日蓮宗に売却されるが、今に残る。