法輪寺の壁に沿って東に進み、次の十字路を右に曲がると「華開院」の山門がある。



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華開院(けかいいん)と呼ばれるこの寺院は、悪妻で名をはせた、日野富子の墓(菩提塔?)がある所である。

その中まで入り、富子の墓に参ることは出来なかったのだが、室町幕府の衰退を招いた応仁の乱を引き起こした源を作ったのが、

この日野富子であり、わが子可愛さのあまり、十数年に亙り京の町を戦火に包んだ、悪妻、足利義政の妻・日野富子の墓がここにあるという。



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その「華開院」の前に、京和幼稚園があるのだが、その入り口に『元阿弥陀寺跡 慈雲尊者 遷化之霊地』の石碑が建つ。

阿弥陀寺は北野天満宮の供御所七保のうちの一つで、六の保の社であったが、明治の神仏稀釈により廃寺となってしまい、その後の変遷を経て現在は幼稚園となり、元気な子供達の明るい遊び声が聞こえている。

また、ここは江戸中期の大阪を中心として活躍した慈雲尊者が、文化元年(1804)に87才で、この「華開院」で遷化(生涯を閉じた)した所でもある。