実は、この京eラーニングの継体天皇筒城宮の伝承地を訪ねる現地講習会は、 |
JRの同志社の駅ではなく、もう一つ先の三山木の越前を経て、飯岡の古墳群まで歩く予定だったようであるが、 |
当日はあまりにも暑く、熱中症の心配もあり急遽予定を変更し、普賢寺川に沿って同志社の駅までとなったのである。 |
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JR同志社の駅は、京田辺に同志社キャンパスが出来たときに、新しく設けられた駅である。 |
その同志社の駅から少し歩くと「鉾立の杉」だという杉が立っている。 |
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![]() | ここに立つのが鉾立の杉であり、ここから北に1,100mの所、国道360号線と府道・八幡-木津線の交差する所にある、「鉾立の松」とともに、神功皇后の軍勢が通過したときに、鉾を立てたところだと云われている。 |
そばにある駒札によると、 |
『古くは松であったが、いつの頃から杉に変わり、村人たちは注連縄(しめなわ)を巡らし大切にしてきたという。現在は二代目の杉が植えられている。 |
この付近は南鉾立といい、北約1.1kmの北鉾立にある「鉾立ての松」とともに、神功皇后がここを通過したときに鉾を立てかけた所と伝えている。 |
古事記・日本書記によると、神功皇后は仲哀天皇の皇后で、名は息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと) |
(紀では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと))といい、父は息長宿禰王、天王にある朱智神社の祭神迦爾米雷王(かにあめいかづちのおう)は祖父にあたる。 |
この周辺には神功皇后に関する伝説が多く残っている。鉾立ての松・杉はそれぞれ興戸と田辺の境、興戸と高木の境にあり、かつての山陽道である街道沿いにそびえる姿は格好の目印になったことであろう。』 |
出典:【鉾立ての杉の駒札】より |
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