大住の話が出たのだが、大住地区には隼人舞が継承されている「月読神社」と「大住車塚古墳」がある。 |
京田辺市大住池平31番地にあるのが月読神社。JR大住の駅を出て右に、山手幹線まで歩きそこを右(西)に、一つ目の信号を右に曲がる。 |
住宅地のなかをしばらく歩き、大住中学校が見えるとその道を左に入ると、月読神社の石の鳥居が見えてくる。 |
JR大住の駅より1,200m、歩いて18分の所である。 |
月読神社は、 |
『月読尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊をまつる式内社で、大社に位置づけられていた。 |
中世にはたびたび兵乱を受け、社殿の焼失・再建を繰り返したという。本社が位置する大住地域の多くは平安時代末期以降、室町時代末まで奈良興福寺の領地であった。 |
神宮寺として、法輪山福養寺が明治初めまで存在した。同寺には奥ノ坊・新坊・中ノ坊・西ノ坊・北ノ坊・東ノ坊の六坊があり、大住小学校は北ノ坊のあった場所と伝えられる。 |
神社境内には奥ノ坊の庭園の跡が残っている。 |
慶応4年(明治元年・1868)、鳥羽伏見の兵乱が及ぶのをさけて、八幡の石清水八幡宮が当社境内に一時遷座されたこともある。』とあり、 |
出典:【月読神社の駒札】より |
本殿は、 |
『現在の本殿は、東に面する一間社春日造、銅板葺(もとは桧皮葺)の建物で、明治26年(1893)に名古屋の伊藤平左衛門により設計された。 |
本殿を囲む玉垣の正面に鳥居を配置する珍しい構造が見られる。春日造は奈良春日大社の本殿の形式で、現在の奈良市を中心に、奈良県・京都府南部・大阪府・和歌山県北部に分布する。 |
10月15日 宵宮には大住隼人舞が奉納される。』と駒札にある。 |
出典:【月読神社の駒札】より |
また月読神社には大隅隼人舞が伝承されており、毎年10月14日には舞いが奉納されている。 |
その謂れは、 |
『九州南部の大隅隼人が七世紀頃に大住に移住し、郷土の隼人舞を天皇即位にともなう大嘗祭のときなどに朝廷で演じ、また月読神社にも奉納して舞い伝えてきた。 |
隼人舞は岩戸神楽と共に日本民族芸能の二大源流ともいわれ、「古事記」や「日本書記」の海彦山幸彦の神話に起源するといわれている。 |
文学博士志賀剛氏(1897~1990)は能楽五座のうち外山座が月読神社の外山神楽座であるという。 |
更に、隼人舞継承者牧山望氏(1900~1991)によって隼人舞が復元され毎年十月十四日の秋期例祭宵宮に奉納されている。 |
現在では地元の人々を中心に大住隼人舞保存会が結成され大住隼人舞、隼人踊りが継承されている。 |
大住隼人舞は、昭和50年(1975)12月19日に田辺町(現在は京田辺市)指定文化財第一号に指定された。』と駒札にある。 |
出典:【隼人舞伝承地の駒札】より |
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