今回の継体天皇ゆかりの地を廻るもう一つのテーマは、 |
継体天皇が越前の三国から、樟葉の宮(現、枚方市樟葉)で即位した後、奈良の「磐余玉穂宮」に入るまでに、いったん都を置いたのが「筒城宮」である。 |
この筒城宮が、京田辺市の何処にあったのかというのが、いまだ確かな場所は解く手されておらず、その伝承地は7ケ所ほどあるのだが、その幾つかを廻るのである。 |
筒城宮の候補地が7ケ所あるなかの一つである「薪堂の後」付近、それが調度、一休寺道と山手幹線の交差する所から北東に位置する畑の中である。 |
山手幹線が出来る時に、発掘調査がなされている。 |
この薪、堂の後あたりは、甘南備山と木津川に近く、また九州の大住隼人が移住したという大住の地にも近く、6世紀のものとされる須恵器が発見されている。 |
また近くの古墳から尾張の工人が作ったといわれる埴輪が出土し、継体天皇の妃である、目子媛が尾張の出であることから、継体天皇につながる古墳だとも推定され、筒城宮の跡だといわれる由縁ともなっている。 |
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