東山七条から豊国廟に至る参道は、昔から「女坂」と呼ばれている。



 クリックで大きくなります
「女坂」と呼ばれるからには、もう一つ「男坂」という坂があるのが普通であり、坂が急で距離が短いのが「男坂」

そして距離は長いが坂が緩やかな方を「女坂」と呼ぶのであるが、ここの「女坂」はそれとは少し違うのである。



 クリックで大きくなります
東山七条の右が、智積院で左が、妙法院その間にあり新日吉神宮から豊国廟に至る坂を「女坂」と呼ぶ。

この坂が「女坂」と呼ばれるようになった由縁は、

東山の今熊野大仏廻の地に、大正3年(1914)に堀川五条から移転した京都裁縫女学校が、女子の教育機関として発展し、戦後に女子大を設立し、「京女(きょうじょ)」の名で親しまれている。

市電の通っていた頃は、東山七条の停留所で降りて、この坂を登って学校へと歩いていた。

当然ながら、この坂を登るのは小学生から大学生までの女の子であり、その光景から、何時しかこの坂を「女坂」と呼ぶようになったという。



 クリックで大きくなります
今にも空が泣きだしそうなので、京女のキャンパスにあるバス停からバスに乗ろうかと思ったのだが、

バスを待っているのは女の子ばかりで、そんなバスに乗るのは女性専用車に乗るのと一緒で、

まして電車より狭いバスとくれば、何かに間違われるものいやだし、京阪七条まで歩くことにしたのだが・・・



 クリックで大きくなります
「女坂」を急いで降りることにしたのだが、

東大路通までくると雨脚が強くなり、周りには雨宿りをする所もなく、こんなことならバスに乗ればよかったなと思いながら、雨の中を京阪七条の駅に向い急いだのである。